グーグルマップで見る史跡「ハーヴィー・ミルク 事務所・写真店跡」

現在のサンフランシスコ市カストロ通り575番地

店先の道路にはめ込まれたプレート

以前の店舗

ここの店主でもあった ハーヴェイ・ミルク(ハーヴィー・ミルク)

映画化されたMILK(国内では春に上映された。現在DVD販売中

現在のカストロストリートのview

地図

ハーヴィー・ミルク(1930年5月22日〜1978年11月27日(満48歳没) )は元サンフランシスコ市市制執行委員。
 ミルクは、ニューヨーク出身のユダヤ人であり、一度米国海軍に入隊するが、1951年には除隊。この除隊は名誉除隊だったとも、軍隊内でのしばしば起こった同性愛者追放の犠牲だったとも言われています。

1972年にミルクはサンフランシスコに引っ越し、パートナーのスコット・スミスと共に、全米屈指のゲイコミュニティであった、サンフランシスコのカストロ・ストリートにて写真店カストロカメラを開きました。
(これが上記の写真です)

このカメラはこの町で市民運動や選挙運動を行ったミルク達の活動拠点ともなっていきます。

 その後、ミルクは1973年と1975年にサンフランシスコ市制執行委員(≒市議会)に立候補し、2度とも落選します。

 しかし、
(1)選挙のたびに増えるミルクの支持者の多くが、ミルクの働きかけによって、市長選挙の際にジョージ・マスコーニ市長に投票をしたことによって、1976年に許可証嘆願委員会に市長がミルクを任命したこと
(2)サンフランシスコ市市制執行委員の選挙が大選挙区制から小選挙区制になり、同性愛者が大半を占める選挙区が生まれたこと
(3)同性愛者だけではなく、労働組合や各種民族団体との連携により支持層を広げていったこと
 などにより1977年の3度目の立候補で市制執行委員に選ばれた。これによってミルクは同性愛者であることを公表した人として初めて合衆国の大都市の公職に選ばれました。

 彼は11ヶ月の在職期間中に、サンフランシスコ市市制執行委員会で犬の糞の放置に罰金を科した有名な条例や、市の同性愛者権利法案の制定に尽力します。
 また、カリフォルニア州において、「教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できる」とする「条例6」(案)の破棄に尽力した。その結果条例6は1978年11月にカリフォルニアの住人によって完全に否決されました。

 しかし、ミルクは、市制執行委員を辞職したばかりのダン・ホワイトによって1978年11月27日に市庁舎でジョージ・マスコーニ市長とともに射殺されました。


映画リンク
ハーヴェイ・ミルク(1984年製作 ドキュメンタリー映画

ミルク ( 2008年 ノンフィクション映画)

グーグルマップで見る史跡「ストーンウォール事件」




 1960年代のアメリカはアフリカ系アメリカ人公民権運動が高まりを見せていた時期でもあり、1964年には公民権法が制定されるなど、マイノリティが人権を勝ち取る動きが連邦レベルで広がっていた時期でもありました。

 しかし、1965年に「ソドミー法」と呼ばれる同性愛行為に対する刑事犯罪法が制定されたニューヨークでは、ゲイバーに対する警察による手入れは当時、当たり前のことのように行われ、同性愛者が力で対抗することはない状態が続いていました。しかし、ベトナム反戦運動学生運動も高まる中、同性愛者の我慢も限界に近づいていました。

 そんな 1969年6月22日に同性愛者に対して親密的な女優であったジュディ・ガーランドが亡くなります。
ジュディ・ガーランドが「オズの魔法使い」にて主役のドロシーを演じたことから、
「Friend of Dorothy」が男性同性愛者を指す隠語として使われていたほどでした。

 そのジュディ・ガーランドの葬儀が6月27日に行なわれ、その教会から程近い場所にあったゲイバーのストーンウォール・インでは葬式に参列した者を中心にガーランドの話題で感傷的な雰囲気が形成されていました。
 そして、日付が変わった28日の未明、、ストーンウォールインに警察が踏み込みます。
そして、その時、警察官の無神経で侮辱的な言動に、彼らの堪忍袋の緒が切れてしまったといわれています。

 暴徒と化したドラァグ・クイーンを始めとする、2000人のゲイ・レズビアンetcと400人の警察の衝突により店内や周辺は騒然となりました。
 そして、6月28日午後には、クリストファー・ストリートに、差別撤廃と解放を訴えるスローガンを掲げた同性愛者らが押し寄せました。

 そして、1970年6月最終日曜日、ストーンウォール・インでの事件の一周年を記念し、5000人以上の男女がグリニッチ・ビレッジからセントラル・パークまで行進しました。これがニューヨーク最初のLGBTプライドパレードであり、以降毎年6月最終日曜日に同様のパレードが実施されています。また、このパレードが米国主要都市や世界各地に広がることになりました。
(日本でも先日紹介をした札幌などでパレードが開催されています)

 ちなみに、ニューヨークのゲイ・シーンの中心は年々北上しつつあり、現在のクリストファー・ストリートは寂れつつあるそうです。しかし、今日でもゲイ・タウンとして世界的に知られ、事件の舞台となったストーンウォール・インは、今もクリストファー・ストリート53番地に残されています。



 

 

グーグルマップで見る史跡 「ホモモニュメント」





 現在は同性婚が法制度として確立しているオランダですが、
ナチス占領下のオランダでは、同性愛者が次々と
アウシュビッツなどの収容所に送られていきました。

 強制収容所では
緑の逆三角形(グリーントライアングル)=刑事犯
赤の逆三角形(レッドトライアングル)=共産党員・政治犯
黄の六望星(ダビデの星)=ユダヤ
のさらに最下層に
桃の逆三角形(ピンクトライアングル)=男性同性愛者
が置かれ、
1万人〜数十万人の同性愛者が虐殺されたといわれています。

 また、連合軍の開放後も、他のユダヤ人や政治犯と異なり、
ピンクのトライアングルを付けていたことが知られると、その多くが
連合軍の手によって精神病院に移送されたといわれています。

 オランダではこうした悲劇を繰り返さないため、
首都アムステルダム市の、アンネ・フランクの隠れ家があったところからも
近い、西教会に同じ惨劇を繰り返さないことを誓ったホモモニュメントが
設置されました。

 3つのピンクの三角形のストーンが設置されているのですが、
うちひとつは常に花が手向けられ、もうひとつは昼間は子どもが上に上ったり、腰掛けたりして遊んでいる。

 そんな町の中に、なじんでいるモニュメントがオランダらしいのかなと感じます。

札幌レインボーマーチ

 9月の連休にレインボーマーチ2009が札幌にて開催されました。
(パレードを歩いた人の人数は738名、5連休の中日ということが影響してか、例年よりも250人程度少ない参加者数)

 http://www.rainbowmarch.org/

 下の写真はパレードの様子、パレードの開催に合わせて虹色にライトアップされた札幌テレビ塔、市長の代理でプライド集会に参加をした男女共同参画室長の写真等などです。

 ちなみに、レインボーマーチは以下の3つの目的を持つパレードです。また、市内ではパレードにあわせて各種イベントや集会が行われました。
 
1. レインボーマーチは、身近に性的少数者(以下LGBT*1)が存在することを広く知らせ、地域社会に暮らすLGBTとの共生を訴えます。

2. レインボーマーチは、孤立するLGBTに対して自らの存在を肯定的に受容するための情報を発信し提供します。また社会に対して、偏見や興味本位による差別の解消を訴えます。

3. レインボーマーチは、LGBTが存在することを前提とする社会制度の構築を、行政や企業、教育現場への働きかけを通じて広く社会全体に訴えます。また、多様性を認め合い、一人ひとりの個性を尊重する豊かな社会の実現を提唱します。

 また、パレード後のプライド集会では市長代理のほか、民主、共産、公明の地方議員や、社民の元市長候補がスピーチ、そして、道知事や、道内多数の市の市長、社民党新党大地の代表からもメッセージが寄せられました。
(例年は市長が参加をしているものの、今年は都合がつかず代読というかたちになりました)

 地域によっては、セクシュアルマイノリティ関連のイベントに、政党関係者や議員などが参加をすることに対して、「政治的に利用をされる」と批判的な声が少なからずでるものの、北海道では「政治を変えて、自分達の生活をよくしていこう」という雰囲気ができていて、こうした良好な関係ができていることはうらやましい限りです。








 

小沢昭一さんの「小沢昭一座談③本邦ストリップ考 まじめに」より


 概要・・・元々パンダでも人間でも生き物ならば、メスの陰部はオスにとって慕わしきものだった。人間だけが、陰部だけをワイセツな個所としてしまった。脇の下などもずいぶんワイセツであるし、陰部は鼻の穴や脇の下と同じ体の一部である。陰部は人間の根源である輝かしい部分なのに気の毒である。
 ワイセツを見たくない人は見なければいい、見たい人には見せたらいい。
 他人に不快感を与える事は、何にせよ良くない。他人に不快感を与えるものは悪だ。悪は取り締まってほしい。臭い口臭ほど不快なものはない。口臭こそ悪だ。口臭は軽犯罪にして取り締まるべきだ。
 陰部のワイセツに不快感を持つ人は、もともとストリップ劇場に来なければいい、しかし、口臭者はどこにでも居て、急に向こうから現れる。ストリップを見たくない人がストリップを取り締まれというなら、その前に口臭を取り締まってくれ。
 日本の芸能史は報の目をくぐるエネルギーで進歩発達してきた。
 「法律」も「警察」も日人々の暮らしを守る事から出発している。一番大切なものは命だ。露出を続けても、観客は誰も命を落とさない。みんな喜ぶだけだ。

 ちなみに、この文章で、小沢さんは「メスの陰部はオスにとって慕わしいものだと行ったが、慕わしくない人だっている。近頃は、オスの陰部が慕わしいオスのヒト科も増えているようだ」とも述べている。

 ちまたでは東京都議選が行われている。そして夏の終わりまでには総選挙がある。「オスの陰部が慕わしいオスのヒト科」が自分らしく振る舞う事や、パートナーシップを形成して日々の暮らしを続けるとが侵害されないことを願って止まない。

セクシュアルマイノリティライフ

 大学帰りにスーパーに寄っても、休日に遊びにいくのに電車を待つ駅のホームでも、イカにも系( http://www.stag.jp/xc/word/_82_A2_82_A9_82_D9_82_E0_8Cn )な同性カップルを我が家の周辺ではよく見かけます。

 私の場合、自分のセクシュアリティに関して、プライベートな知り合いに対しては、聞かれたら答える、隠さない、話題をさけないのが基本なので、あらかたの知り合いは知っている状態です。

 そして、ここ最近感じるのが、首都圏ではゲイである事について分け隔てのない人がかなり多いなぁという事です。セクマイ(セクシュアルマイノリティ)の友人知人がいる、近所のスーパーでゲイカップルをよく見るetc.ゲイの側が隠しているつもりでも、周囲にはほぼ知られているようなケースも多いようです。

 もちろん、私の住んでいる町にしたって、ネガティブイメージを持っている人もまだまだ少なくはないわけですが、年代や地域をこえて人の意識をだんだん変えていけるといいなぁとつくづく思う今日この頃です。

 セクシュアルマイノリティ関連の各種イベントでも、今年度の上半期の各種イベントや報道でもそのテーマは、社会と対峙するというよりも、社会の中でいかに繋がっていくのかというイベントが多いようですね。(  http://www.nhk.or.jp/heart-net/lgbt/video/index.html など)

映画「MILK」

現在、「MILK」という映画が公開されています。
( 公式ページ→ http://milk-movie.jp/enter.html )

 サンフランシスコの元市政執行委員(日本の市議会議員に相当)であるハーヴィー・ミルク(ハーヴェイ・ミルク)の後半生を描いた、実話に沿って作られた映画です。
 彼はゲイであることを公表して選挙に出馬し(米国の大都市では初めて)公職に選ばれました。

 議員を目指した当初は男性同性愛者の当事者の代表として選挙に出たものの、たびたび落選。しかし、セクシュアルマジョリティの一般市民から好感を得られやすいスタイルを身につけ、女性同性愛者をスタッフに迎え、高齢者や少数民族などその他の社会的マイノリティの為のマニュフェストをかかげていきました。そして、2度の落選や、(私生活を犠牲にしての勝てない選挙に限界を感じた)恋人との別離を乗り越えて、1977年に初当選を果たします。
 
 当選後も、同性愛者が暮らしやすい社会を創る為にはより多くの人との連携が必要であると考えた彼は、教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例案の廃案に尽力し、否決に導いた一方で、犬の糞の放置の問題といった、より幅広い市民が問題視していた課題にも熱心に取り組み、犬の糞の放置防止の為の条例を可決させることにも成功しました。
 しかし、保守派の元・市制執行委員(ミルクの暗殺の数日前に執行委員を辞職していた)ダン・ホワイトによって、1977年末に暗殺をされ、生涯を終えました。

 ミルクが暗殺された夜、自然発生的なキャンドル・ウォークが起こり、
何千人もの人が追悼に参加をしたと言われています。(http://www.archive.org/details/ssfHarveym1

 なお、現在はドイツの首都ベルリン市のクラウス・ボーベライト市長と、フランスの首都パリのベルトラン・ドラノエ市長はともに男性同性愛者であり、アイスランドヨハンナ・シグルザルドッティル首相は女性同性愛者であり、そのことを公言しています。

 ハーヴィー・ミルクがより幅広い層に訴えることで、当選を果たしたということ、欧州の市長や首相はセクシュアルマイノリティというパーソナリティーを持ちながらも、当事者の代表ではなく、市民や国民の代表として当選をし、職務に専念をしている。
 こうした、セクシュアルマイノリティの経験をセクシュアルマイノリティのためだけでなく、社会全体のために活かしていくということが、今後のセクシュアルマイノリティの活動の中心に位置づけられていくのではないかと思うしだいです。

 そうした流れのひとつが、今年のIDAHO関連イベントにもつながっているのだと思います。
http://yappaidaho.blog.shinobi.jp/Entry/46/
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBF_jaJP295JP296&q=%e6%84%9b%e3%83%80%e3%83%9b