googleマップで見る史跡 「新宿二丁目」

A:イプセン

 「新宿2丁目」エリアにはじめてできたゲイバーがイプセン(開店当時は喫茶店)でした。
このお店は1951年に新宿三丁目伊勢丹裏の建物の2階に開店をしたそうです。
(正確な場所が分からないため、屋外の写真は伊勢丹裏の写真です)

 新宿二丁目は1958年の売春禁止法によって空家となった元赤線の店などを利用してゲイバーが数を増やしていったといわれています。(赤線=1946年のGHQによる公娼廃止指令により日本の公娼制度は廃止されましたが、新宿2丁目などは風俗営業法の許可を得た特殊飲食店が100件近く存在する赤線地帯として、売春禁止法の施行まで生き残りました。なお、風俗営業法の許可を得ていないモグリの店は青線と呼ばれていました)

 売春禁止法施行以前に先駆け的に誕生したイプセンは、当時の新聞に「男色居酒屋」という見出しで掲げられ、「この世にこんな気味の悪い場所があるのか」、といった論調の記事がかかれたこともあったそうですが、1980年代末まで営業をし続けました。お店を閉じた後、マスターは今年2009年の8月に100歳の誕生日を迎えたものの、10月22日にお亡くなりになられたとのことです。
(参考: http://www.pot.co.jp/fushimi/20091025_171817493914780.html )

 (なお、風俗営業法およびそれに関連する政令や条例に基づき、学校、図書館、児童福祉施設、病院、診療所の近くに風俗営業を行う営業所を作ることが禁止されていますが、東京都では都内4区の一部地域は特定地域とされ、上記の保護対象施設がそばにあっても、風俗営業の営業所を作ることができるとされています。そのひとつが新宿区の歌舞伎町1丁目、歌舞伎町2丁目の9〜10番地、同じく歌舞伎町2丁目の19〜46番地、新宿3丁目であるとされています)(昭和60年3月1日公安委員会告示第33号)*1



B:タックスノット


 同じく新宿三丁目に、1982年にオープンし、現存している老舗のゲイバーとしてタックスノットがあります。
 1976年春から1980年初夏にかけてラジオ放映された音楽番組『スネークマンショー』・『それいけスネークマン』では、当時はほぼタブーとされていた同性愛者に関するコーナーが作られました。毎週水曜日担当のタックさんこと大塚隆史さんの「ゲイのみなさん、こんばんは!」という番組の始まりのあいさつが話題となり、同性愛者当事者の中でも、初めて「ゲイ」という言葉を聞いたという人もいたようです。そのタックさんが開いたゲイバーがこのタックスノットというゲイバーです。
(参考: http://www.asahi-net.or.jp/~KM5T-OOTK/tacsknot.html )


C:メゾフォルテ・新宿二丁目振興会

 新宿二丁目振興会の会長を勤めるマスターのお店。新宿二丁目振興会はこの地域のフリーペーパーを発行すると共に、
2000年(平成12年)から、この振興会を中心とした「レインボー祭」を毎年開催している。(写真下)




(参考:メゾフォルテ:http://www.g-token.com/bars/mf/wp/
    新宿二丁目振興会:http://dreamswan.com/Sjk/S2/Sjk2.htm


D・E:変わり行く町並み

新宿二丁目は世界で最も店舗数の多いゲイバー街であるといわれてきました。(床面積の狭いお店が多いので、総面積では大きくはないのですが)
上の写真で見ても分かるとおり、ひとつのビルにたくさんのゲイバーがひしめき合っています。

 しかし、赤線時代からのあるいはそうでなくとも古くなった建物をつぶして下の写真のような駐車場とするところが増えています。

 横浜の小金町や、同じ新宿区内の歌舞伎町と同様に、「街の浄化」という流れが新宿二丁目にも押し寄せてきています。
老朽化名目で古い雑居ビルが解体されていくなか、2丁目から撤退するゲイバーも多くなってきています。 ちなみに、写真の駐車場の場所は以前は、新宿二丁目でも最大規模のゲイバーのひとつが1階に入っていて、店内や店先は賑わっていました。



上記A〜Eの地図上のポイントです。


( *1 風俗営業の特定地域としては他に中央区銀座4丁目〜8丁目、港区新橋2丁目〜4丁目、渋谷区道玄坂1丁目1〜18番地・同二丁目1〜10番地・桜丘町15〜16番地がある。)