グーグルマップで見る史跡 「シェイダさん事件」



写真は牛久にある東日本入国管理センターです。


★入国管理センターとは

 そもそも、入国管理センターとは、在留資格がない不法入国者オーバーステイをはじめとする入管法違反で退去強制手続の対象となった外国人を収容する施設です。

(退去強制相当の違反をした場合、最終的には、①出国命令、②即日仮放免(後日なんらかの手続をする)、③地方入管局に付設されている収容場(しゅうようば)への収容の継続、④入国管理センター(日本全国に三箇所)に収容(事案処理の見通しがつかずに中長期に及ぶと想定される者)のいずれかとなります)

 入国管理センターの待遇は非常に悪く、8畳間に8人を押し込めたり、昼も夜もわからなかったりするなど、「刑務所より酷い」環境に置かれているという話もあります。しかし、内部の取材を認められた例はないため、現時点では難民申請者の証言のみに留まっているとのことです。

 ただし、在留資格のない外国人の中には難民として日本に在留している人もいます。




写真は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所 (@国連大学ビル《UNハウス》) 
です。

★難民
 難民認定の方法には2つあります。
・1つ目は国内にいる難民認定申請者の中でいわゆる難民条約・難民議定書上の難民該当性を有する者を難民と認定するというものです。
・2つ目は国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が行っている第三国定住プログラムでリストアップされている難民について受け入れ枠を定めて難民と認定し、国内に入国させ保護するというものです。(UNHCR認定者はマンデイト難民、あるいはマンデート難民と呼ばれます)。

*日本では後者については、過去に、インドシナ難民に限って時限的に行った実績はあるものの、平時の広汎な受入れ対応は行っていません。
 例えば、2005年1月18日には、日本国政府はUNHCRが難民認定したクルド人をトルコに強制送還したことがあります。なお、国連難民高等弁務官事務所が認定したマンデイト難民を、一国家が認めずに強制送還をするということは世界初のできごとでした。

 人が難民になる理由は様々ですが、その理由の一つにセクシュアリティに関するものもあります。

例えば、イラン・イスラム共和国刑法では、
第108条 ソドミーとは二名の男性で行われる性行為で、かつ性器の挿入を含むもののことを指す。
第109条 ソドミーが行われた場合、挿入者と被挿入者はともに処罰の対象となる。
第110条 ソドミーの処罰は死刑であり、執行の方法はイスラム法判事の指示に基づく。
第111条 挿入者と被挿入者がともに成人であり、健康な精神状態で自由意思によりソドミーが行われた場合、これを死刑に処す。
第121条 二名の男性間の挿入を伴わない性行為の場合、両者を100回のむち打ち刑とする。
第123条 二名の血縁関係にない男性が、不必要に全裸で横たわった場合、両者を99回のむち打ち刑とする。
第124条 性欲をもって同性とキスを行った場合、60回のむち打ち刑とする。
とされています。
(下記のシェイダさん事件の弁護団の調査によって、)1990年から2000年の11年間でわかっているものだけでも
10件の事件(人数としてはゲイ13名、レズビアン2名。ただし15名の内2名はスパイ罪も問われ、1名は飲酒の罪にも問われている。)
があります。

★シェイダさん事件
 そして、日本で初めて同性愛者であることを理由に難民申請をしたのがシェイダさんでした。 

 シェイダさんは、1991年にイランを出国し、来日。来日後は性的・政治的な自由を求めるグループに参加してイランの現体制への批判を行っていました。
その後、オーバーステイにより、2000年4月22日に逮捕されました。
仮にイランに強制送還されたら、身に危害が及ぶ恐れがあるとして、シェイダさんは2000年5月に日本で初めて、同性愛者であることを理由とする難民申請を行いました。
 その結果、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)はシェイダさんを難民(マンデート難民)と認めたものの、日本政府は「難民にはあたらない」という判断をしました。
 シェイダさんは裁判を起こ司法の場で争うことを決意し、一度は入国管理センターに収容されたものの、裁判中の2001年11月仮放免が認められました。しかし、第1審、第2審とも敗訴となりました。

 *シェイダさん在留権裁判1審(2004年2月25日(水)シェイダさん敗訴)
 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_38.html 
 
 *シェイダさん在留権裁判 第2審も敗訴 
 http://www.sukotan.com/shayda/shayda_48.html 2005年1月20日

 そして、最終的には2005年3月30日 北欧の第三国に出国というかたちで、この事件は終わりました。

 なお、この事件の直後に、法務省は「国連認定難民は強制収容せず」という新方針を打ち出しました。(2005年04月07日)
 関係者によると、その時点で国内には約25人のマンデート難民がいたようです。
  この新方針では「難民認定をめぐる訴訟などで国側が勝った場合も強制退去とはせず、UNHCRと協力し、安全な第三国への定住をはかる」されました。