グーグルマップで見る史跡 「パリ市庁舎」

 2002年10月5日。この日のパリは、ベルトラン・ドラノエ市長(52)が企画した、翌日曜の朝方にかけての「眠らない夜」というイベントが開催されていました。
 エッフェル塔や数々のモニュメントが夜通しライトアップされ、ルーブル美術館や教会といった歴史・文化施設、市庁舎などが市民に無料開放され、これにあわせデパートやレストランなどが深夜営業していました。
 そして、日付が変わった6日の午前2時半ごろ、市内を回り終え、市民で満席状態だった市庁舎内のイベント会場を訪れたところ、市長は突如飛び出してきた男にナイフで腹部を刺されました。


 ドラノエ氏は、1977年にパリ市議会議員に当選。1995年には上院議員に当選(上院議員とパリ市議を兼務)。そして、上院議員在任中の1998年11月22日に、異性カップルおよび同性カップル事実婚の権利を保障する準結婚制度(PACS)の法定を巡る論争について、賛成の立場からテレビに出演をしました。そして、インタビュアーから「ドラノエさん、 あなたは異性愛者なのですか、同性愛者なのですか」と質問された際に「そうです、私は同性愛者です。今日この場で、行っている議論の重大さを承知しています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない。自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない。」と語りました。この発言によって自らの政治的生命が絶たれる危険性を覚悟した上での発言でしたが、ドラノエ氏の発言は好意的に受けとめられ、2001年3月には現職市長を破ってパリ市長に当選をしていました。


 市長を刺した男は周囲の人々に取り押さえられ、警察に逮捕されました。 逮捕された男は警察の取り調べに対して「政治家、とくに同性愛者が嫌いだった」と動機を語った。市長はすぐに病院に運ばれ、緊急手術を受けたものの一命を取りとめました。
 ドラノエ氏はその後も一貫して、反ユダヤ主義イスラム教徒への差別、同性愛者への差別、性差別と闘う政治家として、現在も市長として在職をしています。


 1〜3枚目の画像はパリ市庁舎、4枚目の写真はドラノエ市長の写真です。