ETV2001「シリーズ戦争をどう裁くか」の「第3回 いまも続く戦時性暴力」を見て。

 今回の番組は2000年12月の「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会(@東京)を取り上げている。これを主催した米国NPOジェンダー正義を求める女性コーカス」は 「被害者による証言は戦時性暴力の実態を明るみにするだけでなく、被害者が直面するさまざまな問題を聞き手である私たちに考えさせる。これを機に私たちが何ができるのかを考えたい」と述べている。
 
 主な内容は以下のとおり

 古代の戦争においても現代の戦争においても戦争時における性暴力が行われてきた。拷問と生暴力について犯罪者が裁かれることはほとんどない。第二次世界大戦においてドイツや日本における強制収容所での強制売春や慰安婦などは最近になってようやく責任が問われるようになってきたが、終戦当時には十分裁かれずにきたし、現代でも多くの戦時の性暴力が裁かれていない。ともすれば致し方ないという評価までされてきた。
 しかし、「女性に負って性暴力による心の傷はさまざまな形で現れ、被害者は一生苦しめられる可能性がある。被害者が受けた被害を犯罪として認定しないとすれば、被害者はさらに癒される可能性を奪われてしまう」とも言われる。
 また、戦争時における性暴力に対する抑止力も働いてこなかった。現代の紛争において、女性は敵軍からも、自軍からも、治安関係者からも、民兵からも、さらには多国籍軍や国連平和維持軍などからも性暴力を受けてきたのである。

 カリフォルニア大学(准教授)米山リサ氏は「男性兵士のマスキュリニティ(*)、男性性、あるいは戦士のセクシュアリティによって、戦争時において女性は性暴力という特殊な被害を受けるが、これは日常の延長と考えたほうがいい。そこでは平時でも女性が男性の所有物として見られている。だからこそ敵の男性が所有しているものを破壊しようとするのでである。」…「まず考えなければならないのは女性が置かれている日常的な状況を見直すことである(それは戦時に限らない)。そうしなければ暴力の連鎖は断ち切れない。民族が形作っている男と女の関係 国家が規定している日常的な男女の関係、あるいは南北問題、植民地政策など国家と国家の関係がさらに形作るジェンダー(*)の関係、そういったことが戦時に影響を与えている。 
 『男性の兵士のセクシュアリティ(*)は理性では抑制できない生物的な本能的なもので、はけ口が必要なのだ』と言う神話、『レイプということが性欲と関係がある』という神話がある。しかし、レイプというのは(性欲ではなく)むしろ権力の行使であるであり、権力関係である。権力を行使するという戦士・兵士のセクシュアリティは積極的に組織的に作られたものであり、作り直せるものである。」と述べている。

 なお、今回の公聴会では中には社会の偏見や(脅されるなど)身の危険を感じて、顔を出せない人、発言ができない人もいた。
 しかし、勇気を持って発言をした東ティモールの女性は 「手榴弾やナイフで脅し、みせしめとしてわが子や大勢の人の面前でレイプされた。その後収容されて長期に渡りレイプをされた。汚されて尊厳を踏みにじられた。」と語った。
 そして、ブルンジの女性は 「彼らの家族は私の民族によって殺害されたのでその仕返しとして私をレイプし奴隷にするのだと言い、実行した。そして、ある日彼らは私に対して『殺す気はない。何をされたかを政府軍に言うよう』と言われた。また見方であるはずの国軍にもレイプをされた。家族には信じてもらえず、社会からも迫害され、私の居場所はありません。毎日悪夢にうなされています。その日その日をただ生きるだけです。」と語った。
 さらに、グアテマラの女性は「女性に対する暴力に関して、拷問の歳には性暴力が伴いました。女性の尊厳を奪うためにもっとも有効な手段だと知っていたのです。」と語っていた。

 東京大学助教授 高橋哲哉氏は「(そもそも)平時におけるレイプも女性に対する侵略戦争ではないか。レイプと言う言葉の中に『犯し、奪い、我がものにする。』という意味があり、侵略とイメージが重なる。侵略戦争は他国を『侵し、我が物にする』というレイプである。レイプが侵略戦争の始まりである。そこにはつながりがある。…ソマリアのケースなど。国連平和維持軍は平和維持する役割を持つが、彼らによる性暴力も行われている。暴力が荒れ狂っているときに私たちはその状況にどう介入するかと言う難しい問題がある。平和維持軍も軍である限り本質は変わらない。軍事主義がもっている暴力性を問うていく必要がある。…加害者が被害者に沈黙を強いることは、加害者にとっての利益となっている。これは暴力が生じた権力構造が変わっていないのである。そこに被害者が声を上げることは権力構造を変える可能性がある。審判的と言うことは「自分は被害者であり加害者が犯罪を起こしたのだ」ということを告発する意味を持つ。(米国精神科医のジュリス・ハーマンは「証言は2つの側面がある。ひとつはプライベートな側面である。これは被害者が自己を回復するための物語を作り出すものであって、告白的であり、精神的である。一方でパブリックな側面は被害者が社会的なアイデンティティを回復していくという、政治的であり審判的なものである。それに結びつくことが証言であり物語るということである。」と述べている)

 国際刑事裁判所(ICC)において、女性の市民運動の効果などもあり、人道に反する罪として性暴力が犯罪の類型に入った。ICCはいまだに批准国が十分な数に達せず、稼動するにはいたっていない。しかし、期待されているものは大きい。
  高橋氏は 「被害者は『自分の運命を支配した加害者がどんな人か知りたい』と思っている。そのことを理解したい。そのことが真相の究明、責任の所在の明確化、さらには処罰へとつながる。」と延べ、米山氏は「過去の戦争において女性への性暴力を思い出し、明記し、問いただし、いけないものだったの言うことをはっきりさせることは未来に対して連続性を断ち切る抑止力を持つ。」と述べている。
 その上で、
 米山氏は「暴力の結果失われた命や性の尊厳は責任者がいくら処罰されても回復しきれないものだ。ここの被害者の救済とこれからの性暴力の抑止とは区別して考えねばならない。」というように、高橋氏は「責任者の処罰は被害者が求めている。回復のための必要条件であるが十分条件ではない。裁かれただけで傷が癒されるかは分からない。さまざまな問題がある。事前に止める抑止の力が必要。」だと述べている。

20世紀の経験を証人の声を聞き受け入れていく平和の文化を21世紀に作る転換点にある。

以上が、概要です。

今後、このブログやグループ研究などの場で、
「レイプで傷つくものは何か。」
「なぜ支配の手段としてレイプが用いられるのか。」
「平時においてレイプをするの加害者は自己肯定感の低い者だといわれるが、それは戦時においてはどうなのか?」
といったことも考えていければと思っています。

ジェンダー :社会的に作られた「男らしさ」「女らしさ」
*マスキュリニティ:「男らしさ」に基づく価値観で支配しようとする姿勢。
セクシュアリティ:性に関する行動・傾向・減少