anthropon sexoualikotēta / erotas ] 梅毒の歴史(書きかけ)

 前回のゼミの時間に、庭園美術館「1930年代・東京」展で秋山勇作の『エロチシズム』について話題としたときに、梅毒や性感染症の歴史がどうなのかと言う話が出たため、現在調べ中です。

今の段階では梅毒について

1512年 日本において記録上に初めて登場。抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かった。
1683年 イギリスの王立協会に送ったスケッチに、スピロヘータ様のらせん菌が描かれており、細菌発見の当初からその存在は知られていた。
1835年 Ehrenbergが水中から見出したらせん菌にスピロヘータと名づける。
1830年代後半 フランスの医師、フィリップ・リコールが淋病と梅毒が別個の病気であることを証明。
1873年 Obermeierが回帰熱ボレリアの原因が病原性のスピロヘータであることを発見。
1905年 シャウデン&ホフマン(独)が、スピロヘータの一種である、梅毒の病原体スピロヘータ・バリーダ発見。
1906年 ヴァッセルマンが梅毒病原菌に対する血清診断法(いわゆるワッセルマン反応)を開発
1909年 ドイツ人のエーリッヒと日本の秦佐八郎によりヒ素を含む薬剤のサルバルサンを開発(ヒ素を含むため副作用が強い)
1913年 野口英世が進行麻痺(人格変化、記銘障害、知能低下、痙攣、卒中様症状を伴い精神症状が進行。うまく口が回らなくなる)や脊髄ろう(徐々に始まる脊髄の進行性病変で、脚に強い刺すような痛みが不定期に現れては消え、やがて歩行が不安定になる)が梅毒スピロヘータによることを証明。
1926年 花柳病予防法(性病治療のための診療所の設置、伝染の虞のある花柳病に罹ったことを知って売淫をなした者は3月以下の懲役、他)
1943年 フレミング抗生物質ペニシリン」により、治療法が確立。
     (梅毒トレポネーマは抗生物質への耐性は獲得していない。罹患患者は減少しているが、根絶された訳ではない。)

ということです。

 直接1930年代についてはまだあたれていませんが、サルバルサンによる治療方法はあるものの、ペニシリンの発見前で、花柳病予防法成立後という1930年代は、性感染症が社会における危機であると認識されていたころなのではないかと思われます。