ETV2001「シリーズ戦争をどう裁くか」の「第2回 問われる戦時性暴力」を見て。

 今回の番組は2000年12月の「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会(@東京)を取り上げている。これを主催した米国NPOジェンダー正義を求める女性コーカス」は 「被害者による証言は戦時性暴力の実態を明るみにするだけでない。…これを機に私たちが何ができるのかを考えたい」と述べている。

 主な内容は以下のとおり

 戦時下の暴力や人権侵害を「人道に対する罪」 として問い直そうという動き広がっている。
この方の概念が実際の裁判にはじめて用いられたのがナチスによるユダヤ人虐殺を裁いたニュルンベルク裁判(1945年11月20日 – 1946年10月1日)である。(ほぼ同時期の東京裁判では米ソの対立という背景もあり、人道に対する罪はほとんど問われなかった。)
 戦勝国による占領の終了後もドイツは「人道に対する罪」を犯した人を自らの手で裁き続け、被害者の保障にも国を挙げて取り組んでいる。
 1985年の西ドイツのワイゼッカー大統領演説でも「過去に目を閉ざすものは現在に目を閉ざすことになる。」と述べられている。
 なお、戦勝国であるフランスにおいても現在、人道に対する罪が問われている。傀儡政権であったヴィシー政権が、ナチスドイツに協力をしてユダヤ人を強制収容所への移送に協力したことについて、責任者の一人が半世紀以上たった今、「人道に対する罪として」有罪の判決を受けたのである。
 また、1954年に始まったアルジェリアの独立政権でもフランス軍の拷問や虐待が明らかとなり、これら植民地での行為についても「人道に対する罪」として問うべきだという声が上がっているのだ。
 旧ユーゴスラビアルワンダでは集団的レイプなど女性に対する性暴力についても、こうした行為を「人道に対する罪」として認められた。
 日本についても、終戦後の日本政府はこれまで個人への賠償ではなく、二国間条約での賠償を行い、個人への賠償は行わないという方法を当事国の合意の下に行ってきた。しかし、慰安婦に関して、日本政府は軍の関与を裏付ける資料などもでてきているとのこと。

 なお、私自身は最近「ベルリン終戦日記 ある女性の記録」という本を読み始めている。この本の内容については、また後日、別途取り上げたいと思っているが、「平和を乱した国」かそれに「受けて立った国」かを問わず、また、「戦勝国」か「敗戦国」かを問わず、人道に対する罪はどこの国の軍隊も引き起こしうるということ、その問題をどう防ぎ、どう裁くのかを改めて考える必要があるのだと考えた。