グーグルマップで見る史跡「ストーンウォール事件」




 1960年代のアメリカはアフリカ系アメリカ人公民権運動が高まりを見せていた時期でもあり、1964年には公民権法が制定されるなど、マイノリティが人権を勝ち取る動きが連邦レベルで広がっていた時期でもありました。

 しかし、1965年に「ソドミー法」と呼ばれる同性愛行為に対する刑事犯罪法が制定されたニューヨークでは、ゲイバーに対する警察による手入れは当時、当たり前のことのように行われ、同性愛者が力で対抗することはない状態が続いていました。しかし、ベトナム反戦運動学生運動も高まる中、同性愛者の我慢も限界に近づいていました。

 そんな 1969年6月22日に同性愛者に対して親密的な女優であったジュディ・ガーランドが亡くなります。
ジュディ・ガーランドが「オズの魔法使い」にて主役のドロシーを演じたことから、
「Friend of Dorothy」が男性同性愛者を指す隠語として使われていたほどでした。

 そのジュディ・ガーランドの葬儀が6月27日に行なわれ、その教会から程近い場所にあったゲイバーのストーンウォール・インでは葬式に参列した者を中心にガーランドの話題で感傷的な雰囲気が形成されていました。
 そして、日付が変わった28日の未明、、ストーンウォールインに警察が踏み込みます。
そして、その時、警察官の無神経で侮辱的な言動に、彼らの堪忍袋の緒が切れてしまったといわれています。

 暴徒と化したドラァグ・クイーンを始めとする、2000人のゲイ・レズビアンetcと400人の警察の衝突により店内や周辺は騒然となりました。
 そして、6月28日午後には、クリストファー・ストリートに、差別撤廃と解放を訴えるスローガンを掲げた同性愛者らが押し寄せました。

 そして、1970年6月最終日曜日、ストーンウォール・インでの事件の一周年を記念し、5000人以上の男女がグリニッチ・ビレッジからセントラル・パークまで行進しました。これがニューヨーク最初のLGBTプライドパレードであり、以降毎年6月最終日曜日に同様のパレードが実施されています。また、このパレードが米国主要都市や世界各地に広がることになりました。
(日本でも先日紹介をした札幌などでパレードが開催されています)

 ちなみに、ニューヨークのゲイ・シーンの中心は年々北上しつつあり、現在のクリストファー・ストリートは寂れつつあるそうです。しかし、今日でもゲイ・タウンとして世界的に知られ、事件の舞台となったストーンウォール・インは、今もクリストファー・ストリート53番地に残されています。