謝罪と許しと反省

 これまで、このブログで「戦争をどう裁くか」について取り上げてきましたが、先日、就遊館としょうけい館という、戦争についてまったく異なる取り上げ方をしている二つの場所を一度に見てきました。しかも、平和のために、戦争遺跡を残すということに取り組んでいる方に、ガイドをしていただきながら、「平和」について考えつつ、両施設を客観的な視点で見て、学問的に批判的な観点、肯定的な観点から捉えることができました。

 これらを踏まえて、「日本の宗教」(遊佐道子 2007年 春秋社)と「ナチスと教会」(川島幸夫 2006年 創文社)について、戦中、戦後を中心に読んでみました。

 ドイツの場合、プロイセン王の主唱の下にルター派と改革派(カルヴァン派)を統合したプロイセン合同教会ができ、さらに、ドイツ各地のルター派プロテスタント系のキリスト教各派を取り込み、その連合体として作られた「ドイツ福音主義教会同盟」が国民の多数を占めていました。(ルターの改革以来ドイツでは各地に分立する領邦国家の君主勢力と教会は強い結びつきを持ち続けた「領邦教会制」の時代、福音主義プロイセン王がドイツ皇帝を兼任した「神聖福音主義帝国」の時代を経て、共和制となった後も教会は、国家教会制を廃しつつも、ワイマール憲法下で教会の伝統的な諸権利は保障されていました。)
 そのドイツのキリスト教と、天皇を神聖視する形で、古来からの神道を国家的な儀式としての性質を強めて作られた、日本の国家神道とを単純に比較することはできないでしょう。
 しかし、ドイツでは、第二次世界大戦後、キリスト教会の罪についても取り上げられてきたことは知っておいてもいいのかなと思うのです。
 ドイツにおいて、教会はナチスを警戒し、境界への干渉に対して、教会の自由と独立を守ろうとする姿勢が見られ、「教会的反対派はナチスドイツにおいていくつかの目に見える成果を収めることができた唯一の反対派であった」と評価される一方で「ドイツにおける一般的なユダヤ人に対する迫害に対して公然たる反対の声を上げることができなかった。」とされています。
 ボンヘッファーは「国家による秩序の創造は、神の『保持』の意思にもとづくものであり、国家行為としての政治活動には教会は介入しない」としつつも、「教会は国家に問いかけができるし、問いかけるべきである」考えました。そして、教会の政治権力に対する3つの抵抗類型として、「第一に、教会は国家に対してその行為が国家にふさわしい正当な性格を持っているかどうかという問い、すなわち国家としての責任を目覚めさせる問いを向ける。」、「第二に教会はどのような社会秩序の犠牲者たちに対しても、たとえ彼らがキリスト教会に所属していなくても、無条件に彼らに使える義務を負っている。」、「第三に車に轢かれた犠牲者を解放するだけでなく、車そのものを阻止することである。」ということを挙げました。これによって、「告白教会(派)」においては、第一についてはかなりの規模で実行され、第二についても小規模ながら実行に移されました。しかし、第三についてはまったく実現に至りませんでした。そしてボンヘッファーは告白教会における自らの理念を実現することをあきらめざるをえなくなった後、1943年に投獄され、1945年に強制収容所で処刑されました。
 なお、戦後になって、ニーメラ(彼も1937年にゲシュタポによって投獄され、敗戦までザクセンハウゼン及びダハウ強制収容所に収容されました。彼は戦争加害者というよりも基本的に抵抗者であり被害者であったにもかかわらず、彼)はドイツ福音主義教会終戦後に罪責告白が問題化していたときに、明確に教会の罪責、特に告白教会の罪責を指摘し、他人の罪責を問題にする前にまず教会が公式に罪責を告白することによって国民に手本を示さなければならない。それによってのみ教会は未来を目指してドイツの再建のために働くことができる、と力説をしましたた(「我々の今日の状態をもたらしたのはなによりもまずわが民族とナチスとの罪だった、と言って、すませるわけにはいきません。彼らの知らない道をかれらはどのようにすすむべきであったというのでしょうか。彼らは単純に自分たちは正しい道を進んでいるのだと、やはり信じ込んでいたのです。否、本来の罪は教会にあるのです。なぜなら教会だけが破滅に至る道を知っていたからです。それなのに、教会はわが民族に警告を与えませんでした。教会は犯された不正を暴露せず、あるいは暴露しても遅すぎました。この点で、告白教会の罪責を特に大きいのです。なぜなら告白教会はそれについて語りましたが、やがて疲れてしまい、神よりも人間のほうを恐れれるようになりました、こうして破局が我々すべての上に到来し、その渦の中に我々を巻きこみました、我々教会は、まさに胸を叩いて告白しなければなりません、『私の罪、私の罪、私の巨大な罪』と。」
 そして、ドイツにおいては、1945年10月19日に誰よりも先にプロテスタント教会が罪責告白を行いました。これは「シュトゥットガルト罪責宣言」と呼ばれています。
 「許し」を大切にするキリスト教文化の下での国家や戦争犯罪人への許しがこれまで大きなテーマとして考えてきたが、そもそもキリスト教という宗教そのものがドイツにおいて罪を告白し、許しを請うことになったのです。

 戦争と人間、戦争と国家だけでなく、戦争と宗教という点からも、
いかに罪を認めるのかということや、宗教が犯した罪をどう許すのかということを考えていくべきなのではないかと感じたしだいです。